うみねこの読み方 [赤字]

うみねこのなく頃に」を読み解く鍵。
結論が明示されない物語ではあるが、考察の材料として。



うみねこは「最後まで人間犯人説を貫き通すことができるか」というテーマで始まった話である。
うみねこの世界は三層構造で成り立っており、下から順に「ゲーム盤」「メタ世界」「現実世界」となる。
そして後期エピソードでゲーム盤の謎が人間犯人説として解答が成され、最後に残るのは現実世界の謎。
即ち、六軒島で本当に起こった事とは何か。そして、それに至る経緯は何か。

作中で「一なる真実の書」と呼ばれるこの謎は、プレイヤーが自らの手で解き明かす他に無い。
初期エピソードの謎を解く際にプレイヤーの拠り所となったのはベアトリーチェの赤字発言であった。
しかしこの最後の謎を解く段階に至ると、多数の登場人物の残した赤字発言が枷となる。
この積み重なった赤字を読み解くことができれば、恐らく「一なる真実」に辿り着くことができるだろう。





赤字発言とは、ベアトリーチェ悪魔の証明を成立させるために持ち出したルールだった。
赤字で「秘密の抜け道は存在しない」「合鍵は存在しない」と発言することで、
そのゲーム盤内においてはそれが真実であることの証明になるというもの。
逆に赤字では嘘を発言できないというルールでもあり、戦人はそれを利用して復唱要求の戦法を編み出した。

このことは後のエピソードでもプレイヤーの推理に多大な影響を与える。
と言うより、全ての赤字発言を真に受けていると推理が破綻するような仕掛けになっている。
この赤字発言に関するルールを引きずっていると、いつまでたってもまともな解答が見えてこないのである。
そう。結論から言えば、赤字発言は絶対的な真実であることを保証するものではない。




可能性が示唆されるのはEp6。
ヱリカからの復唱要求に対して戦人は「認める」としか赤字発言していない。
本来これでは「赤字での復唱要求」の意味を成していないはずである。
そしてラストにヱリカを指して、「18人目の人間」「そなたを迎えても17人」と赤字で発言する場面は決定的。
これは即ち、赤字発言が客観的な真実を表すものではないことを意味している。
さらにEp8のラストでベルンカステルの赤字発言に対して、縁寿は「認めない」と切り返している。

振り返ってみると、Ep2で早々にベアトリーチェが「そなたは無能だ!」と赤字発言している。
以降も笑い声はともかく、「妾の一番のお気に入りの家具にしてやる」などのセリフが赤字。
これはプレイヤーへのヒントでもあるはずだが、もう一つ重要な側面を持つ。
それは、戦人自身に赤字ルールの本当の意味を理解してもらうためのヒントであるということ。




では、赤字発言とは結局何の意味も持たなかったのか?
結局のところ赤字発言でも嘘が並べ立てられていて、成立したはずの推理も解答も意味を成さないのか?

そうではない。
確かにベルン、ラムダ、ヱリカなどは赤字でデタラメなことも発言している。
例えば「ハッピーエンドは与えない」と赤字で言われたところで、物語の受け止め方はプレイヤー次第。
そしてドラノールやウィルがノックスやヴァンダインの内容について赤字で発言しているが、
これもうみねこにノックス十戒が適用されることを意味するわけではない。
Ep7の冒頭で「使用人が犯人であることを禁ず」と発言しているのは裏付けとも取れる。

ただし、ベアトリーチェ(と、その陣営の面々)は赤字で嘘をついていない。
ベアトリーチェの戦人への想いで説明がつくと考えているが、この辺りの心情考察はまた別の機会に。
Ep1から物語に付随する「愛がなければ視えない」という言葉が、この説を補強してくれるだろう。




論説の問題となるのはEp4のラストで戦人が「俺は右代宮明日夢から産まれた」と赤字発言できないシーン。
「俺は右代宮戦人だ」「右代宮戦人の母は明日夢」「右代宮戦人明日夢から産まれた」は赤字発言できている。
ここはこじつけに近い解釈が要求されるが、「明日夢から(死産で)産まれた右代宮戦人」と、
「霧江から産まれた右代宮戦人」が存在するとして説明を続ける。

どんな内容であろうとも赤字で発言できるならば、ここで戦人は上記のセリフを赤字発言できるはず。
しかしこのシーンは、絶対的な真実でなければ、当人が思い込んでいようとも赤字発言できないことの証明と見える。




ここに至ってようやくではあるが、赤字の正体は魔法であると結論する。
赤字で言葉を交わす者同士での契約としての魔法。
この時点で戦人は「赤字とは絶対的な真実を語るものである」と思っている。
だからこそ戦人の使う「赤字」という魔法は、その通りの性質を持ってしまっているのだろう。

対して、ベアトリーチェがこの場面で戦人に上記の赤字発言を要求した真意も明らかになる。
つまりベアトリーチェは、戦人が赤字の意味を理解しているかどうかを問うたのだ。

戦人が「赤字で真実でないことも発言可能」と理解していれば、戦人の使う赤字もその性質を持つ。
赤字で嘘をつくことも可能であり、戦人がそうするかどうかは当人の思い次第ということになる。
そして戦人は「自分は明日夢から産まれた」と思い込んでいるのだから、ベアトリーチェに対して
堂々と「俺は右代宮明日夢から産まれた」と赤字で発言するだろう。




コーヒーカップから飴玉を取り出す「魔法」には、二通りではなく三通りの捉え方がある。
本物の魔法であると信じ込むこと。
手品であると見抜き、それを「魔法ではない」と否定すること。
手品であると理解した上で、それが「魔法である」ことを認め合うこと。

このEp8最後の選択肢は、赤字が魔法であるとするならば以下のように読み取ることができる。
赤字発言は絶対的な真実であると信じること。
赤字に意味など無いことを見抜き、「赤字発言であっても真実ではない」と否定すること。
赤字に意味など無いことを理解した上で、「赤字発言は真実である」ことを認め合うこと。

ベアトリーチェは相手を理解した証としての「赤字」の成立を望んだのだと思う。




まとめると、うみねこにおける赤字発言は以下のように読み解くべきである。